朝礼ネタ|本能寺の変を巡る羽柴秀吉の行動

《2023年》朝礼ネタ

本能寺の変が起こったとき、織田信長は京都にいました。

では、なぜ織田信長は京都にいたのでしょうか?

実は、このとき信長は家臣である羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉の援軍のために中国地方に向かう途中でした。

秀吉はすでに策を練っており、その気になれば秀吉ひとりでも中国地方を支配していた毛利氏に勝つことは可能でした。

しかし、このあたりが秀吉の秀吉たるところです。

朝礼で話すポイント|サラリーマンは空気を読む力が大切

秀吉は「人たらし」とも呼ばれ、「人の心を読むこと」「空気を読むこと」にたけていました。

自分一人の力で毛利氏に勝ったとなれば、ここで一番警戒するのはほかならぬ「主君の信長」だったのです。

秀吉としては、主君にあらぬ疑いを抱かせ自分が要注意人物になってしまうのは、やはり避けたいところ。

このため秀吉は、わざわざ援軍を頼むため信長を京都に呼んだのでした。

しかし信長が本能寺で亡くなり、その情報を誰よりも早く手に入れた秀吉は、すぐさま信長が来るからと毛利氏に嘘の報告をします。

そして、和議を結んで中国地方を離れ、信長を死に追いやった明智光秀を相手に弔い合戦をすることにしたのです。

このそつのなさ、行動の速さというのは、組織の中で生きるうえではやはり大きな武器となります。

もちろん今は戦国時代ではありません。

しかし、秀吉の空気を読む力は今の我々にも十分参考になるかもしれませんね。

タイトルとURLをコピーしました